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2011年4月19日 (火)

11日の記憶 ②

・・・・・・・ 東日本大震災 ・・・・・・・

最終的にマグニチュードは9.0と

訂正された超巨大地震。

宮城県北部の栗原地区で震度7

私の住む仙台市泉区は6強。

                 

横殴りの雪が降り出していました。

 ガレージはどうなっているのだろう

もしかしたら崩れてバイクも車も

コンクリートの天井が落ちて

押し潰されているかもしれないと

ちょっとドキドキしましたが

外見からはなんら変わったところは

ありませんでした。

シャッターを開けてみると

バイクが車の側面に寄りかかって

横倒しは免れていましたが

車の右リアドア部分はバイクの重さを

もろに受けてぼこぼこ。

 これくらいで済んだのだからと納得。

                    

間もなく電気のない寒い夜がきます。

地震直後、出ていたガスは止まり

水道も断水していました。

 もしやと思い水は出ているうちに

ヤカンやポットに入れていたことは正解でした。

 私は過去に長い停電を2回経験しています。

一度は78年6月の宮城県沖地震

2度目は高校2年の12月24日、湿った雪に

よる着雪で高圧線が切れたり鉄塔が倒れて

停電になったことがあります。

このクリスマス停電で大活躍したのが

石油ストーブでした。

これは電気が不要で、湯沸かし、料理も出来るから

とても重宝しました。

いまは石油ファンヒーターが主流の時代ですが

石油ストーブはこういう災害の時のために

一家に一台です。

今回の停電でも石油ストーブが

我家の中心でした。

110311008a  

夕闇が迫るとともに晴れ上がり

人口的な灯りのない夜がきました。

 ときおり目にする光は

歩く人の握られた懐中電灯と

車のヘッドライト。

 3年前の岩手宮城内陸地震のときは

数日間上空を行き来するヘリコプターの音が

騒々しかった記憶がありますが

この夜はほとんど聞こえてきませんでした。

それは、海岸線が津波によって

未曾有の被害を受けている証拠だったのです

                        

 ガレージの中でバイクを元に戻したりしているとき

低学年の小学生らしき男の子が

泣きながら歩いてる姿を見ました。

学校帰りに地震に遭い家に帰る途中だった

のでしょうか。

私は自分のことで頭がいっぱいで

その子に声を掛けることさえ

思いつきませんでした。

 布団に包まりながらラジオを聴きつつも

時折そのときのことが思い浮かびました。

 なんで声を掛けてやることができなかったのか。

情けない自分に嫌悪感がはしり

さらに目は冴えてくるのでした

                     

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