あの日から
もう2年なのか
まだ2年なのか
どっちつかずの左右に振れる落ち着かない
天秤のような不安定な気持ちです
あの、経験したことのない揺れの大きさと
永遠にも感じた長い長い揺れ
今でも鮮明に記憶しているそれらは
あれから「もう2年経ったのか」と
月日の流れの早さを感じるし
それに対して、復興という、前進していく
スピードの遅いことに
まだ「2年なのか」という気持ちにもなる。
いや、それは逆な気持ちであるかもしれない
感覚というのは
まあなんと曖昧なものか。
しかし、2年前の3月11日は
人間の営みに、消すことの出来ない
大きな傷を残したということは
間違いない事実なわけです。
問題は、過去の時間の経過ではなく
傷ついたものは癒さなければならないということ。
それが出来るのが人間というものですよね
日頃見る仙台の明りも
あの日の夜は暗闇でした。
不安と動揺に押しつぶされそうな寒い夜。
私は、こんな夜を過去に二度味わったことがあります
高校生時代のクリスマス寒波と
中学生の時の「宮城県沖地震」です
「78年宮城沖地震で崩れ落ちた我が家の塀は
鉄筋の入っていない手抜き工事。」
そんな塀が多いことが浮き彫りになった地震でした
何度経験しても
停電になった夜というのは不安なものです。
一寸先は闇、未来も想像出来ない明日への不安
ことの重大さに頭の中で何も整理がつかず
その不安に押しつぶされそうな感覚と
夢であってくれたならば・・・
足元に散乱しているそれらを、夜の闇が
隠してくれて現実から目をそらせていられること。
この闇から開放されたいという一方の気持ち。
とにかく行動を起こさなくては
何も始まらない
この状況を一刻も早く把握せねば
夜が明けてくれという
ちぐはぐな心模様
明りがあって当たり前の街に
あるものがなくなるということは
頼りにするものが目の前から姿を消して
これほど心細いものかと
こんなときになって痛切に感じるものです。
それに輪をかけるように
サイレンの音だけが
あてもなく彷徨うように鳴り響いているのが
さらに気持ちの動揺を大きくしていました
ライフライン
それらすべてが手に入れることが困難になった
たった一度の地震で
こんな事態に陥ってしまうとは・・・
自然の脅威と人間の小ささを目の当たりする
それゆえに災害復旧に駆けつけた方々の支援と
一日も早く日常生活に戻れるよう作業された方々の
努力は「復旧」だけでなく「勇気」が生まれた。
心からの「感謝」 それしかなかった。
仙台市内とその近郊でも
いまなお震災の爪痕を散見します。
道路の復旧工事、のり面工事は
まだまだ続いています
(山野川旅館)
寒い深夜に水を汲みに行ったこと
長い長い列に並んだスーパー
山形まで給油に行ったこと
温泉に日帰り入浴したこと
そのすべてが
遠いことのような、ついこの間のことのよな
もうあれから2年
まだ2年
三度目の春が
もうそこまで来ています
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Heart of Gold Neil Young
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